荻野綾子 研究




大正・昭和に生きた荻野綾子(1898〜1943)は帽子の似合う女性でした。

〜荻野綾子研究の書〜
         香月 隆 著



〜まぼろしの歌姫 荻野綾子〜

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荻野綾子
   
   すぐれたハーピストでもあった。
   明星派にぞくする歌人でもあった。
   その人の名は・・・


〜まぼろしの歌姫・荻野綾子〜 
あなたは荻野綾子というソプラノ歌手をご存じだろうか。
明治31年(1898)、福岡藩武将の末裔として生まれ、西南学院生みの親ドージャー夫妻に音楽を学び、福岡高女を経て東京音楽学校(現東京藝大)声楽科に入学。卒業後ただちに山田耕筰の抜擢を受け、やがて海外でも歌唱力が評価された日本歌曲史上忘れてはならない音楽家である。
彼女の交友関係は広い。山田耕筰の恋人と噂されたこともあった。さらに与謝野晶子、深井須磨子らと親密な文学的交流を展開。市川房枝の信望をえて婦選運動にもかかわった。
なかでも華麗に輝くエポックが、文学の友、深尾須磨子と滞在した2回のパリ留学である。
住まいはパリ高級住宅街の16区。世界に名を知られるクロワザに声楽を学び、フランス歌曲をマスターするとシャンゼリゼ劇場で西洋歌曲とともに日本の古謡を歌い、パリジャンの絶賛を浴びた。
上級武士の品格と家風を受け継ぐ綾子は、自分の名声におぼれずつねに音楽の質を
問い、詩歌の心と歌曲を融合させようと精進を積み重ねた。さらに真摯な後進を見出しては物心ともに支援をつづけた。
 その綾子が戦争末期、無名の音楽家(しかし優れた音楽学者であった)と恋に落ち、最愛の友だった深尾須磨子から公開絶縁状を突きつけられながら昭19年、病を得て死んでいく。火葬の油もなく、利根川河畔の火葬場において薪の火で荼毘にふされたが、その死を知るメディアはなく、つづけて迎えた日本の終戦は、天才的な歌姫の存在を忘却のかなたへ押し流してしまったのである。
 荻野綾子の支援を受けた著名な音楽家は多い。橋本国彦、清瀬保二、箕作秋吉、宮原禎二、そのほか。ブルースの女王、淡谷のり子も東洋音楽学校時代、荻野綾子の強いすすめでピアノ科から声楽科へ移籍し、彼女の指導を受けている。今も音楽界に残した荻野綾子の偉業をしのぶ音楽家は多いがそのオマージュはかたちとならぬまま消えつつある。



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